クレーンの歴史CRANE HISTORY

クレーンの始まり

 押す・引く・転がす・持ち上げる…“物を動かす”という行為は、我々人類の歴史と等しいぐらいの歴史が有ります。
今から約5000年前には、1個約2.5トンの石灰石を230万個積み上げて形成された構造物の“ピラミッド”が、エジプトに現存しております。ピラミッドの製作には、ゆるやかな坂道を作り、あとはテコとコロ、10万人の人力と20年の歳月を注ぎ込み、完成させております。現在であるならば、クレーンやコンベア等といった文明の利器を用いて、少人数かつ短期間で、安全に完成させる事が可能でしょう。
 クレーンの始まりは、紀元前450年頃ギリシャ人が使い始めた原始的な起重機であると言われております。
紀元前214年には、シチリア島のシラクサに生まれたアルキメデスがテコと滑車を使用したクレーンを考案し、攻めてくるローマ軍の船を吊り上げ、転覆させております。
その後、紀元前1世紀のヴィトル・ヴィウスの建築書には三脚起重機が記述されており、さらにその約1000年後のレオナルド・ダ・ ビンチの起重機においては、現在のクレーンとほとんど変わらない様相となっております。
初期のクレーンは、架台に長い腕(ジブ)を備えており、それらの形状が鳥類の鶴(英語名:CRANE)に似ていたことから、“クレーン”と呼ばれるようになったと言われております。
我が国においては、昭和37年に制定されたクレーン等安全規則の施行に伴い、従来の“起重機”から正式に“クレーン”と改称されるようになりました。

古代のクレーン

ドイツのハノーヴァー州リューネブルグに現存する古代のクレーンは、1797年に製造されたもので、一般的にドイツ語でAlte Kran(古いクレーン)と言われ、ドイツの重要な文化財の一つとなっています。
現存のクレーンは4代目で、建物内に刻み込まれた記録等から推測すると、初代は1300年代に、この地に建設されたのではないかと思われます。
このクレーンの吊り上げ操作は、チェーンを巻き取るドラムの両端に設けられた大車輪の中に、人間が入って歩き、その回転力を巻き上げに使用 しています。
荷重が重すぎて、大車輪の回りが悪いときは、大車輪のリムかスポークを他の人が掴んで助力していたようです。
荷が空になると、ラチェットでドラムをロックした後、作業員は大車輪から出ていたようです。
吊り下げ操作は、ラチェットを外して重力を利用して下げていたと考えられ、踏車でその落下速度を調整していたようです。
ドイツには、このような中世のクレーンが、他にも多く現存しています。

日本最古のクレーン

日本で採用された最古のクレーンと思われるものは、明治4年(1871年)に旧横須賀海軍工廠創設当時の埠頭に設備された、フラ ンス製のものと言われております。
能力は7.5トン~10トン位で、その作業半径は、6~7メートル程度であり、手巻きウィンチ付きの固定埠頭クレーンであったそうです。
旋回運動は、ポスト形では無いし、後方にウエイトを搭載しているようでも無いので、手動では相当に重かったものと思われます。
日本のクレーンの発展は、そのまま日本の重工業の歴史と重なります。寛永6年(1853年)ペリーが浦賀に来航してきた頃から、徐々に発展したものと推測されますが、残念ながらこの当時のクレーンに関する記録は、残っておりません。

ちなみに「三代実録」という文献記録によれば、貞観9年(867年)4月、奈良・ 東大寺の大仏修理作業において、文山と呼ばれる 僧が地震によって外れてしまった大仏の頭を元に戻す様子が描かれています。
この中に「雲梯之機」という物が登場しておりますが、これがどうやらクレーンのようです。
長い梯子を作り、梯子の端に輪軸方式の“ろくろ”を取り付けて、梯子の先端まで 綱を伸ばして、さらにそれを地上に下げて、籠に入れた大仏の頭を引き上げて、修復したと思われます。

輪軸